マキアージュとシューゲイザー
2007年10月 9日 12:44 | Comment (0) | TrackBack (0)
資生堂MAQuillAGE(マキアージュ)のCMに流れる曲を聴いてハッとさせられた人もいるのではないかと密かに思うのですが、この音は紛れもなくシューゲイザー・サウンド。轟音であるにも関わらず静謐さが漂い、ノイジーなのに美しいという、90年代初頭以前、もっとはっきり言ってしまえばマイ・ブラッディ・ヴァレンタインというバンド以前には、(一部のノイズ・ミュージックを除き)ほぼ存在しなかったといえる音楽の質感です。
(ジーザス&メリーチェインというバンドが先駆といえばいえますが、静謐さとは少し違う気がします)
化粧品に轟音という組み合わせも衝撃的ですが、マキアージュのCMを初めて見たとき、ともかくその激情と静けさが同時に宿るような音の洪水に身を委ねつつ、不覚にも一瞬にして自身の抽斗を空けられたような、奇妙な感覚が身体を貫きました。あるいはU2の『THE JOSHUA TREE』のイントロあたりをも彷彿とさせるディストーションや深いエコー、これでもかとばかりに施されたエフェクト処理。シューゲイザーの系譜を追いかけることにもうあまり熱心でなくなった今だからこそ、かつて好んで聴いた音との邂逅に、不意を突かれたかたちといえるかもしれません。
もっとも、作り手が本当にシューゲイザー・サウンドを意識しているのかどうか定かでないのも事実です。フジロックにも参加し、MOGWAIのレーベルからもレコードを出しているらしいこの日本のバンドenvyについて、興味を抱きつつも詳しいわけではないので、はたして彼らがこのような音楽を中心に活動しているのかどうかも調べてみないかぎり分からないのです(他の曲は全く違うのかもしれません)。
ただ、ここで問題にしたいのはそのことではなく、実はシューゲイザー・サウンドに限ったことですらないのですが、最近は同世代、もしくは比較的近い世代の方たちがCM界の制作現場でも活躍されていて、そのことがこちらの感覚をこれまでとは別のしかたで揺すぶっている、という関係性についてです。同世代の彼らが制作するCMを見るにつけ、一目で、もしくは一聴して、何から影響を受け、それをどう自らのテリトリーに取り入れようと試みているのかが分かる、または想像できるケースが増えてきているように思えるのです。
メロディ限界説などというものがありましたが、今の時代、全く新しい何かを生み出すのは至難の業です。(これは少し残念なことでもあり、それこそシューゲイザー・サウンドを初めて聴いたときのような衝撃を再び経験できるのかどうか、どうにもこころもとない感じがしています)
止揚されつくしてしまったかに見える世界を対象として、それでも何かを作り出さなければならないのだとすれば、物づくりに関わるすべての人にとって、自らのルーツをどう料理するかがこれからの勝負になってくるのかもしれません。同世代の者に思わず「やられた」と感じさせるような、既視感ですら(だからこそ)衝撃に変えてしまうような......。





