Macintosh黎明記

2007年9月13日 by Eiji Saito

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いまでこそ誰もが表現手段として扱いうるMacやPCですが、90年代初頭、グラフィックソフトが群を抜いて充実していたMacは、まだまだ学生上がりのデザイナーの卵にとって高嶺の花でした。購入を決断することがそのままデザイナーとして生計を立ててゆくことの決意表明とでもいうほどに。

その時期はちょうどDTPの黎明期とも重なっていて、当時はそれほど意識せずとも、いま振り返ると実にさまざまな業界、人生を左右させるに足る激変の時代でもあったのだと感じます。

 

製版へのMacの本格導入。少なくともその数年間、製版・印刷業界は文字通りグーテンベルク以来の大革命の只中にあったといえるでしょう。なにせ従来は卓越した手先をもつ職人たちによってなされていたマスク版の切り抜き処理ですら、学校を出たばかりのMac使いの若者によって、いともたやすく、しかもより正確に実現してしまうのですから、その現実を目の当たりにした製版のベテランたちは(DTPの悪口はいくらでも出てきたものですが)、内心さぞ戦々恐々としていたことでしょう。

 

これらはMac台頭の、とりあえずのところ企業を中心としたマクロ的に捉えられる側面といえそうです。もう一つ、個人を中心としたミクロのレベルがあると思うのですが、実のところ、こちらのほうがより大きな意義を担っていたことが後に証明されます。キーセンテンスとすれば、「自ら情報を発信する」ということになるでしょうか。

 

この「自ら情報を発信する」という行為、いまではWEBやブログの一般化により、それほど新鮮味のある言葉ではなくなりつつありますが、DTPの切り開く個人の可能性がしきりに喧伝されていた当時、ほとんどそれは強迫観念のようにクリエイターたちの頭に響いていたように思います。ご多分に漏れず、私自身、DTP黎明期の草分け的な存在だった戸田ツトム氏の影響などを受けながら、なんとかクリエイティブらしきものにさかんに挑戦し、カタチにしようともがいていたものです。
(社会人最初のボーナスで、発表されて間もないPhotoshop Ver.3を購入したのが懐かしく思い出されます)

 

DTPは最小限の出資さえ惜しまなければ、いくらでも自らのソースをアウトプットできるというのがスローガンだったわけですが、当然ながら出力先が紙媒体である以上、そこには既存メディアの限界もおのずと抱え込んでしまっていたわけで、自らの作品を世間に流布させるという理想からは、ほど遠かったといわざるをえません。ただ、たとえそうであっても、世界に向けて何かを伝えられるという漠とした予感が漂っていたのは確かだと思います。

 

やがてその理想はWEBに取って代わられ(と同時にもはや実質、自己表現のツールとしてのMacも他のPCとの差異が解消され)、いまではその先端にブログやSNSなどがあるということになるでしょうか。以前、個人的にニューウェイヴと呼ばれる極めてマイナーな音楽のイベントを開催していたことがあるのですが、毎回数十人を集客できたのは、フライヤーの配布だけでなくWEBでの告知があってはじめて実現したことです(現在であればmixiなどSNSを利用すれば固定客の獲得はさらに容易でしょう)。

 

もちろん、現在のWEBが理想とはいいきれない部分も多いのですが、少なくとも少数派の声を吸い上げる重要な役割を担っていることは確かです。周縁的なカルチャーが、中心的な(つまりメジャーな)カルチャーに取り込まれることなく、マイノリティなまま緩やかなコミュニティを形成することの可能性を見出すこと。それができるのもWEBの大きな魅力であることは多くの人が感じていることではないでしょうか。

 

一方で、ガレージで生まれた林檎マークのマイナーなパーソナル・コンピュータの躍進が、マイナーからメジャーへの飛躍という道を選んだ際の険しさと刺激についても、幾ばくかの示唆を与えてくれていると言えそうです。

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