YMOルネサンス

2009年1月20日 by Eiji Saito

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YMO久々のライブ音源をiTunesで聴けるとあって、遅まきながら試聴。まるでクリスチャン・フェネスみたいだなぁ、などと思ってぼんやり聴いていたら、まさしくそのフェネスが参加しているとのこと。ああ、フェネス独特の浮遊感ノイズが往年のテクノサウンドに不思議とよく馴染む。

フェネスの生み出す音は、この時代に耳を澄ませばどこかで鳴っていてもおかしくないような電子音。そんな意味では、そう、ちょうど現代音楽の父、ジョン・ケージの不確定性の音楽に近いかもしれません。「世界に耳を澄ませ、ふむ、無音もまた音楽とみなそうぞ」。。

思えばこの電子音楽ってやつ、遠くシュトックハウゼンの厳格さにまで遡ってみても、どこか一種独特の心地よさが親しみ深く、そこではもはや難解な現代音楽もピコピコテクノもないような気がしてきます。電子的ざわめきの彩るままに、ハイカルチャー/ローカルチャーの垣根を軽々と取っ払ってくれる軽妙さ、そこにこそ電子音楽の真骨頂があるといえるのではないでしょうか。

むしろ変化してきたのはアーティストの意識の側なのか、80年代全盛のノイズミュージックの、あの過激な思想と一つになったかのような攻撃性、既存の規範を打ち崩すべき手段とでもいうような破壊性を思い起こしてみるとわかりやすいかも。気づけばいつしかノイズはすぐそばに添えられるものになっていたというこの事実(それこそ携帯など)。何らかの電子音が微かにでも鳴っていないと落ち着かないのがYMO世代?

そういえば、いまや時代の寵児となった中田ヤスタカ氏によってテクノポップなるものが復活を遂げた感がありますが、iTunesのレビュー欄に寄せられたユーザーからのコメントをなにげなく読んでいて、ああなるほどと思わず頷いてしまいました。そこにあったコメントは確かこんな感じ。「自分が作りたいと思って諦めてしまった音楽がここにある」。10代の人たちが聞いている最新のテクノポップを30~40代のYMOチルドレンたちがある種の郷愁をもって迎え入れているという構図がほの見えてくるようです。

ついでながら連想してみるに、日本のFLASHサイトなどの多くに見受けられるビープ音やFM音源のようなあのチープな音の居心地のよさ。そこにもテクノキッズたちの遺伝子が脈々と受け継がれているといえないでしょうか。

最新のテクノロジーが、実は絶えず過去への眼差しを伴っているということに気づくとき、無機的な情緒とでも呼びたくなる、心地よい矛盾の感覚をついつい抱いてしまいます。

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